Posted by らん on 2011 年 5 月 27 日 under ダイアリー |
時々襲ってくる虚無感。
普段は仕事も習い事など、楽しくやらせてもらっています。最近は少しずつ活動の時間と幅を広げていたりもします。
でもその裏には「やるべきことも、やりたいこともない、空白の状態」への恐怖があります。
動いていることが楽しい!って時と、そうでない時とが交互にやってきます。「そうでない時」は、感覚が麻痺したようにあらゆる事への情熱が無くなり気力が失せてしまうのです。
そういう時、「私はどうして生きているんだろう。何をしても何も感じられないなら、何もしないでいる事と同じじゃないか。やりたい事も無いし、仕事だって、私が抜ければまた新しい人が代わりになってくれる。何もしないでいることができてしまう。でもまぁ多少皆さんに迷惑かけることになるけど・・・。親にも・・・。ていうか迷惑かけず邪魔にならないように、やりたい事なく生きてるって・・・、寂しすぎる。
生きてる意味ってなんだろう。」
と思うわけです。
放っておいたら本当に何もしなくなりそうで怖いです。でも何もしなくなるとますます追い込まれるのは目に見えてるので根性で普段どおり生活します。
そうしてるうちにまた、仕事も習い事も楽しくイキイキ取り組めるようになってくるのですが・・・。
こういうの、世のニートと呼ばれる人たちも抱えてるんじゃないかなぁ。
んで、
「だから何か夢中になれる事がほしい。虚無感なんか感じる余裕も無いくらいに夢中になれる何かを・・・」
って思うわけですが、それじゃなんの解決にもならないような気がする。
そもそも夢中になれる何か特別な事って探してもなかなか見つかるものじゃない。
ていうか夢中になれる何かがなければ生きている意味がないっていう考え方はどうかなぁと思う。
でもそういう状態の時、運動をすると不思議と立ち直るんですよ。
ある方から言われたのは、「20歳前後は体と心とのバランスが取れない時期だから、無気力になったり不安定になったりするんだよ。まだ子どものままの部分が大人になりつつある部分を引っ張ってるの。身体が変化しようとしてるだけだから、運動すると良いと思うよ。」と。
不思議だなー。確かに運動するとシャキっとしちゃうんだもの。
でも、運動によってこの状態を回避できるのであっても、やっぱり「言葉」として答えが欲しい。
大なり小なりの制約はあれど、生きている限り誰もが自由。何をやってもいい。
しかし何をすれば良いのか分からなくなってしまった時、何をしたら良いのか。
誰にも必要とされず何もしたい事がない時、そこに生きている意味はあるのか。
夢中になれる事がある時や、生きるだけで必死な時には起こり得ない「空白」。
それに出会うと、人が生きる意味を問わずにはいられなくなります。
その空白の中、自分自身の存在が脅かされているような恐怖と孤独に耐える中に、どんな真実が隠されているのか。
空白と共に生きるにはどうしたら良いか・・・。
この答えを見つけられたら、きっと誰かの力になれると思うのです。
Posted by らん on 2011 年 5 月 24 日 under ダイアリー |
金具屋行きたい!行きたい!
あわわぁ~っ
はっ、衝動に駆られておかしな事を…
あー、渋温泉は良いねぇー。
Posted by らん on 2011 年 5 月 12 日 under ダイアリー |
何か書きたいんだけど、何を書きたいか分からないのでとりあえずダラダラ書きます。
夜はいーですな。
静かで一人で気持ちが良い。
もう外は夏の音がして夏の匂いがします。
気持ちが良いなぁ。
でももういい加減寝ます。
おやすむー
Posted by らん on 2011 年 5 月 9 日 under ダイアリー |
安曇野にあるシャロムヒュッテでの矢島さん&ひとみさんの結婚式の記事はご覧いただけたでしょうか。
シャロムヒュッテでのひとときのうちに、2度ほどとてもすてきな気付きがありました。
外見に対するこだわりが少しほぐされるような。とても貴重な。
一つ目は、シャロムに到着した時。
結婚式の日は、がんばってオシャレをしていったのです。多分人生の中で一番。
髪の毛上げてもらって、すてきなワンピースを着て、ちょっとお化粧もして・・・
しかしその状態で訪れたのは「シャロムヒュッテ」。心から素でいられるくつろぎの空間。
やっぱり私もお年頃ですので、日ごろ綺麗にならなきゃと思ったり綺麗な人を羨んだりなど、外見を気にしたりもします。
しかしシャロムヒュッテに着いた瞬間はっきりと
「ありのままの自分がいい!」
と思いました。
早く化粧も落として髪も下ろしたい。
ありのままでいる事の心地よさを、最も着飾った時に初めて知りました。
例えいつか美しくなって認められたとしても、オシャレでも何でもないただの自分でいる方がずっと気持ちが良いのだと確信しました。
他人に認められるより、自分を自分で認める事の方が大切で、そこには他人に認められる事で得ようとしていた何かがある。
そして、美しくとも醜くとも幸せとは何の関係も無い。
たまたまこの体で生まれて、自分で選んで造った覚えはなく、自分の意思で成長するわけでもなく。体は自分と常にあるのに自分ではコントロールできないんです。自分のものじゃないんです!なんてこった!
体は自分の持ち物なだけであって、単なる所有物である外見をけなされようが比べられようが、自分自身の価値とは何の関係もなかったんでした。
そう思うと、美への嫉妬心が消えました。
そんなような事が瞬間に感覚的に押し寄せたのです。
でもオシャレをする事で元気になれたりすることだってあって、一概に着飾る事が息苦しいことだというわけでもないんですけどね。
2つ目は、ブーケをキャッチして写真をバシバシ撮ってもらった時。
写真を撮られるのは後で見たときに凹むのが嫌なのであんまり好きくないのですが、この時はもう場の幸せ感が心に浸透してしまって写真写りを心配する余裕も無いまま、というかもうそんな心配捨ててしまえ!どーとでも写れ!とばかりに、押さえ切れない笑顔を思いっきり解放し、撮って頂きました。
その、外見へのこだわりをちょっと捨ててみた時に、ひょいと考え方が見晴らしの良い所に飛び移ったのです。
うまく言えないんですが先ほどと同じように「あ、なんだ美醜関係なくそのまんまでいーんだー」と腑に落ちたんです。それも一度目以上に。
なんでしょう、外見の美しさを求めるよりもっと美しくて価値がありしかも安らぎがある感覚を覚えたと言いますか。
こだわりを手放してあの空間の温かなエネルギーに身を任せたときにそれに気付けたのでしょう。
誰かに「外見は重要なことじゃない」と言われてもその意味が分からないのも当然で、体感しなければ、言葉の指す本当の意味は分からない、という事も改めて知りました。
一度視野が広がると、今までは本当に狭い世界で右往左往していたのだなという事がよく分かります。
でも一瞬分かっただけで、すぐあの感覚は日常の中で忘れてしまいます。
きっとあの空間のお陰でもあるんだろうな。
日常の中で、いかにあの時の気付きを持続させるかが大切っぽいです。
帰宅してしばらくたつと、やはり美しい人への嫉妬心が湧き自己嫌悪に陥ることも・・・。
なかなか難しいです。
どうやったらまたあの感覚を取り戻せるかな。