疑問
よく分からないんですが、私は今、様々な疑問を抱えています。
しかしその、疑問の素?みたいなのが心にもやっと漂ってるだけで、それをなかなか言葉にできないでいます。
あーもう、頭の中ぐっちゃぐちゃのツヤッツヤ(脳のシワ的な意味で)。
まぁいいや。とりあえず、不完全な部分もあると思いますが、整理するためにも今疑問に思ってる事を書いてみます。
①
私の周りには「すごい人」がたくさんいます。面白い事をしていたり、慈悲の塊のような人であったり。私もそんな方々が大好きですし、みんなにも愛されています。
しかしそういう人を見るたびに、なぜか落ち込んでいる自分がいました。(その理由も今までよく分らなかった)
なぜかというと、「すごい人」と評される人がいるということは「特にすごくもない人」もいるからです。そしてそれはもしかしたら私であるかも知れないからです。
「すごい人」になるべきなんでしょうか。そんな思いに苛まれ、焦ります。
すごい人は、いい人だし、いい事をしている。
私もそうあるべきな気がするんだけど、そう思うたびにどうも苦しくなってしまい・・・
私はぜんぜんいい人じゃなくて、いい事も別にしたくない。そんな私が「すごい人」になろうとしたら当然苦しくなります。
すごい人にならなければいけないんだろうか。
でも、どうして「すごい人」になりたいんだろう。
価値が欲しいから?
すごい人は価値があって、すごくない人は価値がないの?
でも「価値」っていうのは評価する人がいるからこそのものであって、絶対的な人間としての価値って無いのかも。
しかしすごい事してる人はすごいし・・・
うーんと
って感じです。
もひとつ
②
自らも楽しんで、地球に良い事・良い生き方(自給自足的な)をしている方々がたくさんおられます。
それは人にも地球にも良いに決まってて、それは地球を正常に戻すのに必要な事だと思うんです。
きっと、もっとたくさんの人がそうやって意識して地球に寄り添うのが良いのだろうし、私もそうした方が良いのだろうけど。
しかし残念ながら、「人と地球にやさしく生きる!」なんて言ってもそれは単なる義務感からで、偽善で、苦しいだけ。良いに決まってるのに、あまり気が向かない・・・
だが現に地球環境は脅かされていて、しかしやっぱり、無理やり「地球の為!」と思いながら生活するのってなんかちょっと違う気がする。
できたら自由に生きたいものなんですが・・・でも環境が・・・
もいっちょ
③
よく精神世界系では「ワクワクする方向に進んでいけばよい」と言います。ワクワクする方向へ進んでいけばとにかく良いのだと。人生を意義あるものにするし、世界にも良い事だと。
私もそうしたいです。
そして、今まで暮らしを便利にする技術を生み出してきた先人の方々だってきっと、(全てではないにしろ)ワクワクしながらやってこられたはず。
きっとワクワクしながら何かをする事はこの上なく幸せであったことでしょう。そして誰もがそうなのでしょう。
でも先人が築き上げてきたそれらによって、人間は楽をしてしまい、環境を壊してしまうという結果をも作りあげてしまいました。
それってどうよ。ワクワクしながら作った結果がこれだぜ。
ホントにワクワクを信じて生きて良いのかしらっていう。
ワクワクに従って生きる事こそ有意義な人生の送り方なのだろうけど、でもただ純粋にワクワク生きた結果、いつのまにか世の中がおかしくなっちゃってたなんて事があるはずだと思うんです。
うーん
④
龍馬は日本の為を思って、日本のために生きましたよね。
でも、第二次世界大戦が起きましたよね。
ついでに今の日本のこの空気ですよね。
これは龍馬が日本のために生きた人生を、全て無駄にしているっていう事なのではあるまいかー。
むしろ、極端だけど龍馬や、過去の偉人たちが日本を変えたことによって全ての問題が起っているともとれてしまいます。
だって、些細なことでも過去に何か少しでも違っていたら、その後の未来は大きく違うはずです。誰かが生まれていなかったり、何かが起らなかったり。そんな小さな事が重なりに重なれば、大きな事実だって変わってしまうかもしれない。
どんなに日本や地球や人のためを思って生きても、後世に何が起るかわからなくて、そしてそのたびに、その人の評価や成したことへの解釈は変わってしまう。
何か事をなしてもそれは良い方向にも悪い方向にも変わり得る。そうこうしている間にいずれは地球も終わりを迎える。おそらく人間もいずれ消滅するかも分からない。
いや、でも身近にいる人を守る事が目的なら、未来がどうなろうと構わないし・・・
うーん、私は何が疑問なのか。分からない。
⑤
自らが楽しみながら、そして世間も求めている何かを成して、世の中に求められ認められるために生まれてきたんだと思って生きてたようです。それこそ良い人生だと思い込んでいたし、そうじゃないといけないんだと思ってきたみたいです。
常に目標を持って生き生きと、キラキラ輝きながら生きなければならない!
ところが、私はそれを叶えていない。そう思うたび、とても息苦しくなってしまいます。
本当にそれが「正しい生き方」なんだろうか。
全ての人がそう出来るものなんだろうか。
特にこれといった才能も無く認められもせず、普通に暮らして死んでゆく人もいる。
それは失敗で、その人は世の中にとっての脇役でしかないのだろうか・・・。
ステージの上の人は主人公で、観客は脇役?
平凡な人や平凡な人生の価値ってなんなの
世の中はなんとなく、脚光を浴びるような人生を褒め称えるけど、それってどうよ。それってどうよー
それに何故、才能を持った人と、至って平凡な人がいるんだろう。特別な人と、特別でない人がいるんだろう。
いや、才能を持たない人は特別じゃないのか?特別かどうかは相対的な評価によって決まる。相対的な視点を無くして人間の価値を考えれば「いのちの価値は等しい」という結論に辿り着けるんでしょうか。
⑥
私は悪い人・ダメ人間になりえる要素が十分にあって、いつも怯えている気がします。
少しばかり常識人を演じてないと、救いようのない人間になり下がってしまいそうで、怖い。
社会からの目なんか気にしないで、嫌な事はしないで好きな事をして生きていきたいけど、それは社会に生きている以上許されない事なんだろうか。
良い人でないとダメなんだろうか。
⑦
しかし、私はどう生きたら良いんだろう。
ていうか何のために生きてんだろう。
わからん・・・。
わからん・・・。





鹿児島の人 said,
昨秋に宮崎農機具店さんの飲み会に誘われてらんちゃんに送ってもらった者です。
私の考え方で癒されるようでしたら、力になりたいです。
お父さんのことも心配していたのですが、気が向いたら連絡をください。
ジャンピエール said,
人間一人のサイズはあまりにちっぽけで「すごい人」と「すごくない人」の差などありません。
らんちゃんと同じように僕も若いころ悩みました。それはすべて「自我へのこだわり」という欲です。どれだけ他者を認められるか、どれだけ他者のために生きられるかという「利他」の心が仏教の教えの要だと僕は考えています。
人間は他者から必要とされる事に大きな喜びを感じます。
他者のために生きると言っても、そんなに肩肘を張る必要はありません。お礼の気持ちを言葉にする。手紙に書くといった事もそうです。お父さんも言っていましたね。相手に対して言葉、行動で示さない限り残念ながら心は伝わりにくいものです。
ボランティアといった分かりやすい行動だけが相手を思う手段ではないのです。お墓参りもそうですね。
自分を中心に物を考えると宇宙はちっぽけなものになってしまいます。
のびのびと生きていけばいいのです。宇宙は広くジャマするものなどどこにもありません。
龍馬やアインシュタインがいなかったとしても今の世界は、そうは変わっていなかったはずです。
みや said,
らんちゃんの悩みは、若い頃、ほとんどの人が思うことだと思います。とことん悩んだり考えたり人の話をきいてみたりしてみてください。お父様がインドに留学されたのも、やっぱり同じように悩んだからでしょう?答えを、宗教に求める人もいます。仕事に求める人もいます。人との出会いにも…それぞれだと思います。
私は、好きなことをやりたいことをするしかないと思います。「すごい人」もいきなりすごくなったのではないでしょう。こつこつ努力し、続けてきたから「すごい人」と周りは思うのでしょう。でも、本人は好きなことをやりたいことを続けてきたのではないでしょうか?
そうすると、宇宙の意志というか、自分が生まれる前神様と約束してきたことをすることにつながるような気がします。
私たちはみんな一人残らず、幸せになると約束して生まれてきました。マクロビの創設者桜沢さんも、わくわくするような楽しいことをやってやってやり尽くしみんなに感謝されるためのマクロビオティックだといっておられます(多少表現は違いますが)
らんちゃんの楽しいことわくわくすることをやってやってやり尽くす。絵でもピアノでも文章でも、なんでもいいのです。すばらしい師は周りにいませんか?乗り越えたいと思うような方。具体的に思えば、きっと引き寄せられますよ!
地球のために自分が犠牲になってやるのは、長続きしません。
何だか若い頃を思い出して、長文になりました。
らん said,
たくさんのご意見を頂きありがとうございました。
疑問を投げかければ、即座に真剣にヒントを下さる大人の方たちが周囲にいてくださることは本当に有り難く、私は恵まれた環境にいるという事をつくづく実感させていただきました。ありがとうございます。
しかし様々なヒントを頂いているにも関わらず、頭では分かっていてもまだ心に落ちてこないのがもどかしく思います。
おそらく、質問の内容がまだ洗練されていないからなのです。自分自身が何が知りたいのか分からなければ、何が答えかも分かりません。記事を書いている間も、まだうまく言葉に表せていないのをなんとなく感じていました。
誰かからの返答を欲してるのに質問は未完成な上、答えてもらっても腑に落ちず・・・という、皆さんのお気持ちを無碍にしてしまっているワガママちゃんな私で申し訳ありません。
でも、皆さんからのヒントが何故腑に落ちないのかを考えたことで、より、本当に知りたい「疑問」の内容がまた少し露わになってきた気がします。
また、ちょっとバージョンアップした疑問を書かせていただこうかと思います。(いつ気が変わるかも知れませんが・・・)
しかしやっぱり、未完成な文章でも、書いて誰かに読んでもらいたいというのが正直なところです。もしまたコメントいただいた際には果たして「納得」という形でお応えすることができるかどうか分かりませんが、ヒントをくださるお気持ちをありがたく、頂いたヒントは答えを導くべく手掛かりとして、大切に頂戴したいと思います。
有り難うございました!
コメントをどうぞ